震災復興への取り組み
EARTHQUAKE RECOVERY INITIATIVES
2011(平成23)年3月11日、14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。宮城県栗原市で震度7を観測したほか、各地が激震に見舞われた。青森県から千葉県の太平洋沿岸には大津波が押し寄せ、甚大な被害をもたらした。この東日本大震災における死者・行方不明者は2万人に及び、建築物やライフライン、社会基盤施設などの推計被害総額は約16兆9000億円(2011年6月時点)と試算される程の深刻な被害状況であった。
震災当時の橋本店の動き
2008年の岩手・宮城内陸地震を教訓に、橋本店では震災発生の直前であった3月1日「高砂資材センター(現テクノロジーマネジメントセンター)」を開所していました。震災発生直後から国や県、市などの各所の緊急要請に応え、社員一丸となって災害復旧に取り組みました。
本社
震災直後の状況
停電が発生し、天井の一部が落下し、壁にはクラックが入った。11・12階の事務所では書棚が転倒し、ファイルなどが散乱した。社員は安全を確認しながら階下へと避難した。
対応策
本社1階エントランスに「災害対策本部」を設置。近隣の現場から発電機・ストーブ・投光器などを持ち込み、情報取集にあたった。翌12日(土)・13日(日)もほとんどの社員が出勤し、以後、土木・建築併せて30名が泊まり込みで緊急の要請に対応した。
高砂サポートセンター
(現テクノロジーマネジメントセンター)
震災直後の状況
大規模災害に備え、震災発生直前の3月1日に開所。当初は災害対策本部を設置する予定であったが、地区一帯が津波避難区域に指定されたことや津波の影響で沿線の国道45号線に交通渋滞が発生したことから断念。本部との連携を図り、各機関からの要請に対応した。
対応策
津波被害は免れたものの、センターの南方約300mに位置する雷神社付近まで津波が到達。センターでは、まず帰宅困難者を受け入れ、近隣住民の避難所として機能。3日後に津波避難区域が解除されたため本社から対策本部を移行し、継続的に各機関からの要請に対応した。
被災地へ支援物資の運搬
東日本大震災では、地震により道路や鉄路も大きな打撃を受け、高速道路も一時通行止めを余儀なくされ、救援物資の輸送がままならない状況だった。
発生翌日の12日、国土交通省東北地方整備局仙台河川国道事務所より、宮城県南三陸町へ緊急物資を輸送するため、国道45号線のがれき撤去要請が入った。
これを受け、国道4号を櫛(くし)の軸に、沿岸部に通じる東西の主要道路を櫛の歯に見立て啓開を行い、救援ルートを確保する「くしの歯作戦」を実施。
このように地元建設業者が一丸となり、各所で啓開作業に取り組んだ結果、15日には東北地方整備局が想定していた16ルートのうち、15のルートが通行可能となった。
大規模災害の復旧に、地元に拠点を持つ多くの建設業者が不眠不休で取り組み、大きな役割を果たした。
南三陸町志津川大久保地区 がれき除去作業
着工後 片側一車線分の車両が走行できるようになった
宮城県南三陸町志津川では、国道45号線を横切るJR気仙沼線のレールが津波被害を受けて跨道橋から道路に垂れ下がり、がれきとともに道をふさいでいた。ここではレールを切断し、がれきは道路両端に片付けるなどの応急処置を行い、救援ルートを確保した。
橋本店の復旧活動
震災直後、各所より橋本店が受けた要請は260件を超えました。「復興優先」をスローガンに掲げ、不眠不休で取り組んだ私たちの復旧活動の一部を紹介します。
東名災害復旧工事
孤立した東松島市東名地区への仮設道路(堤防)を築造
東松島市東名地区では、地震と津波により地盤沈下が発生。さらに南側に位置する東名海岸が津波で破壊され海水が流入し、地区全体が浸水し住民が孤立した。そのため大塚と野蒜を結ぶ仮説堤防道路を東西約1kmにわたり急遽築造した。
海水が流入し、水没した状態
堤防道路完成後
東京インテリア泉店復旧工事
外壁と天井の復旧
1992(平成4)年に新築工事を手がけた東京インテリア泉店では、地震によりメイン正面入口内外でサッシとガラスが大破。古いALC版張りであった外壁は全体の7割が破損したが、軽量金属サンドイッチパネルに変更し改修した。
震災直後
復旧後
内部はつり天井構造であったため、広範囲にわたり落下した。復旧は、ぶどう棚鉄骨設置、つりボルトを短く設計し、改修した。
震災直後の天井部分
復旧後
天井は下地ごと落下し、外壁は全体の7割が破損した。
店内は家具などが散乱し、足の踏み場もない状態であったが、外壁の応急処置後、営業再開と平行して改修工事を行った。
宮城県松山高等学校災害復旧
柱の補強
松山高等学校は高台に立地していたため校舎の被害は少なかったが、実習棟が甚大な被害を受けた。さらに2011(平成23)年4月7日に発生した余震で被害が拡大。当社の前施工ではなかったが、宮城県から復旧の要請を受け、改修工事にあたった。
宮城県松山高等学校
座屈状態
仮支柱、配筋設置
実習棟の1階はピロティであったため、柱部分がせん断破壊され、座屈した。重なる余震で倒壊しないよう、32本の仮設支柱を立て、上部荷重への補強を行った。
鉄板柱巻きによる補強
完成
実習棟の被害は、建物そのものの解体が懸念される状況であったが、鉄板柱巻きによる補強や鉄骨による型枠兼用補強を行った。また、改修工事は教育施設であることから、騒音・振動・防じんに気を配り、4ヵ月間で施工を完了させた。
震災からの教訓
社内アンケート結果(2011年8月実施)
橋本店では、東日本大震災と同規模の災害発生に備え、社員360人を対象にアンケートを実施し、震災時の対応についての反省を含め、さまざまな問題点を抽出した。中でも大きな割合を占めた通信連絡関連や燃料や食糧、資材の不足、安否確認などの問題点を受け、さまざまな対策を早急に整備した。
今後の大規模災害に備えた対策
震災マニュアルの作成
緊急時の連絡方法・行動要領などをマニュアル化した冊子「災害時対応マニュアル」を作成し、2012年1月に配布。常に携帯できるようポケットサイズとした。
通信機器の設置
本社およびセンターに衛星電話を設置。さらに停電時でも対応可能な遠距離無線(MCA無線)を本社と各営業所(センター、大崎、石巻)に配置し、無線を使用しての訓練を2012年2月に実施。
長期保存可能な倉庫の整備
緊急時における燃料・食糧・資材の不足を避けるため、長期間保管可能な倉庫を整備し、緊急資材を常備するとともに、保管期限などの点検を定期的に行っている。
橋本店「復興宿舎」の設置
震災後は、工事に従事する作業員が大幅に不足したことから、高砂サポートセンター(現テクノロジーマネジメントセンター)敷地内と岩手県一関市室根町に「復興宿舎」を設置した。この宿舎では、作業員30名を受け入れ、個室から共有スペースに至るまで、清潔感があり長期間入居が可能な環境づくりを心がけた。
レジリエンス認証取得
「レジリエンス認証制度」は、大規模な自然災害などへの備えとして事業継続に関する取り組みを積極的に行い、「国土強靭化」に貢献する事業者に対し、政府が認証を行う制度で2016(平成28)年2月に創設されました。
この制度では、単に事業継続計画(BCP)の策定だけでなく、事業継続戦略とその対策の実施や継続的改善に取り組む団体を認証するもので、同年7月の第一回の審査では、大学、研究機関、建設、製造、金融などの様々な分野から、橋本店を含む44団体が認証を受けました。このうち、宮城県内の認証団体は2社のみです。
橋本店が評価されたのは、東日本大震災の教訓を生かし、本社とテクノロジーマネジメントセンター(TMセンター)の二拠点化を推進し、大規模災害にも柔軟かつ迅速に対応できる体制を構築したことなどが挙げられます。